歴史・文化

北エリア

岩屋岩蔭遺跡 
いわやいわかげいせき

岐阜県指定文化財・史跡(縄文時代)

岩屋ダム下流300mにある 鎌倉時代のヒヒ退治伝説が残る岩屋です。 2001年の岐阜県文化財保護センターによる発掘調査報告書(発行:金山町教育委員会)によると、この岩屋は主に縄文時代の狩猟のキャンプ地であるとされています。縄文時代早期からの利用があり、弥生時代には何らかの儀式的な場になっていたと推測されています。岩蔭および周辺からは縄文土器や石器・石鏃なども出土しており、古いものでは 8,000年前の土器も見つかっています。
また、周辺の巨石群を含む総称 「金山巨石群」 は、近年の考古天文学調査によると、縄文時代の太陽観測に利用された可能性が有力視され話題を呼んでいます。現在ではパワースポットとしても名高い巨石サイトになっています
住所 岐阜県下呂市金山町岩瀬高平
駐車場 巨石群前に10台/150m先のテニスコートに10台(現在テニスコートは使用されていません)
トイレ 150m先のテニスコートに洋式水洗トイレがひとつ
最寄りのバス停 乙原(おっぱら) または 八坂(はっさか)/岩屋ダム方面は 乙原 が終点
ガイド ◆金山巨石群リサーチセンター(調査資料室)調査員による有料ガイド
   1~9名様まで 4,000円/10名様以上 おひとり500円
※金山巨石群リサーチセンター& GALLERY 見学もできます。
◆光の体験ツアー でも同様のガイドを受けることができます
お問合せ
ガイドお申し込み 

◆金山町観光協会 TEL.080-3637-2201 FAX. 0576-32-3543

金山巨石群
WEB SITE 
日本の考古天文学と巨石群 『金山巨石群と太陽暦』
kanayamamegaliths.com

もっと詳しくLinkIcon

代官屋敷址と石畳道

下呂市指定文化財・史跡

岩屋第 2ダム湖畔の西側にある乙原集落の静かな丘陵地帯にあります。江戸時代、旗本千石遠藤鎮之介領 乙原村に陣屋を定め政務を行っていた屋敷址(現在は空き地)と、当地造営された石畳道が縦横に走っていましたが、現在は屋敷址裏の約500mが保存されているのみです。
住所 岐阜県下呂市金山町乙原(おっぱら)
駐車場 なし
トイレ なし
最寄りのバス停 乙原(おっぱら) /バス停からすぐ・北へ約200m 

西エリア

祖師野薬師堂の円空仏

下呂市指定文化財・円空彫刻

 
祖師野薬師堂には、長さ 1mを超える円空彫りの彫刻(薬師如来像/長さ104.4cm×幅 33cm)が 1点あり、他に月光菩薩像・日光菩薩像や聖観音菩薩 4点、12神将像(子・寅・辰・未・午・申)、仁王像 2点、合計15点が祀られています。 円空上人(1632-1695年)が飛騨へ来たのは元禄 4年(1691年)で、津保街道から放生峠を越え東村に入り、麻生谷から下原・中原・下呂・高山へと大衆の教化と仏の慈悲を体験しつつ、仏像を彫刻して飛騨街道一帯の社寺に多数祀りました。飛騨では千光寺(丹生川村)を中心に各地を巡錫し、金山町には45体あるといわれ、 祖師野薬師堂には15体が祀られています。 独特の一刀彫で知られる円空上人は、北海道から九州と線刻各地を行脚しながら、民衆を苦しみから救うため仏像を各地に残しており、生涯で12万体を彫り続けたといいます。自ら再建した関市弥勒寺で 元禄 8年(1695年)、境内の長良川の畔で即身仏として素懐を遂げました。享年64歳でした。
住所 岐阜県下呂市金山町祖師野(そしの)
駐車場 なし
トイレ なし
最寄りのバス停 祖師野下 (薬師堂の入り口に石碑が立っています)
薬師堂の円空仏 高さ 1mを超える彫刻 (薬師如来像/長さ104cm×幅33m) があり、他に月光菩薩像・日光菩薩像や聖観音菩薩 4点、12神将像(子・寅・辰・未・午・申)、仁王像 2点、計15点が祀られています。
円空仏彫刻の見学 要予約/下呂市教育委員会  TEL.0576-52-2900

藩領境の標石

岐阜県指定文化財・史跡

国道256号線沿い、横谷峡 四つの滝の入り口にある白山神社から東へ200mほど東の山側に、「従是南尾張領(これよりみなみおわりりょう)」と自然石に彫刻した藩領境界を明示した標石があります。延宝年間(1673年)に金山村(尾張領)と東沓部村(遠藤新六郎旗本領)との境界の争いがあったため、時の代官 江坂清左衛門がこの地に来て、境を明確にするためにこの標石を立てました。
住所 岐阜県下呂市金山町白山 
駐車場 なし
トイレ なし
最寄りのバス停 滝口 (横谷峡 四つの滝入口のバス停から東へ約200m)

東エリア

飛騨街道 筋骨めぐり
ひだかいどう きんこつめぐり

 
筋骨 とは、飛騨地方の呼び名で、細い路地が迷路のようにいくつも絡み合っている公道のことを言います。人間の体に例え、 のように複雑にからみ合っている様子を例えたものです。飛騨街道 金山宿は江戸時代、4つの藩境で宿場町として大変賑わいました。その名残りが映画のセットのようなレトロ感ある街並みを形成しています。城造り建築・昭和の銭湯見学や、名物丹波の黒豆大福、地酒の試飲など食べ歩きも楽しめます。ひとりで入りにくい迷路のような細い路地もたくさんありますので、地元ガイドさんにご案内していただくのがおすすめです。飛騨金山版 『ハウルの動く城』 もご案内します!2009年頃から始めて、2016年には年間 1万 5千人程の観光客が訪れるようになりました。
住所 岐阜県下呂市金山町金山 (飛騨街道 泉町-稲場町-桜町 界隈)
駐車場 あり (国道41号線沿いのドライブイン飛山 駐車場をご利用ください/信号「上市場」前)
トイレ あり (本町商店街 「よってこ家」 をご利用できます)
最寄りのバス停 橋本町/本町/昭和町/ドライブイン飛山前 など
JR飛騨金山駅から約 1kmに飛騨街道はあります。 
ガイド   ◆筋骨ガイドによる有料ガイド 60分~
   1~6名様まで 2,000円/7名様以上 おひとり300円
◆光の体験ツアー でも同様のガイド内容です 
お問合せ
ガイドお申込み 
金山町観光協会 TEL.080-3637-2201   FAX.0576-32-3543
WEB SITE 飛騨街道 金山宿 筋骨めぐり
http://hidakanayama.com/kinkotsu.html


筋骨マップ (B4 タテ/両面カラー/2019年制作)
■資料のお問い合わせは金山町観光協会まで TEL.080-3637-2201

中綱場御番所址

岐阜県指定文化財・史跡

 
江戸時代、飛騨山中から伐り出された御 用木は、「管流し」で益田川を流し、飛騨 川、木曽川を経て名古屋の白鳥港に運ば れていました。このとき国境のこの中綱場に藤 綱を張り流木を止めて一丁一丁の木材改 めをしました。この場所は下原八幡神社から 100m 上流の最も川幅の狭いところ。中綱場の 藤綱は毎年春が来ると村中で藤を集めて、下原八幡神社の大杉に固定し、注連縄(しめなわ)作りと同じように三つ組みにして完成させました。その藤 綱の長さは 170m 、太さは 26cm で、東岸(福来) 2 個、西岸(中切) 2 個それぞれの綱株岩に巻き付け、藤綱が外れないように、深さ 10cm 、幅 15cm の刻み込みが岩に鑿(のみ)で彫られています。東岸(福来)側には冬期に 3 件の臨時の御番所が設置され、木材改(あらため)役人や船頭が常駐していました。
【市文化財/史跡】 福来口留番所屋敷(写真右)/ 役人は日雇の繰り出す木材の切り判を 1 本ごとに調べ記帳して員数を把握しました。金森藩から幕府領(天領)となって引継ぎ実施、中綱場御番所屋敷一反二畝の記録があります。天正年間( 1573 年)。特に元禄 5 年( 1692年 )この中綱場で取り扱われた御用材は、莫大な数量であり、徳川幕府の重要な山林政策となっていました。
住所 岐阜県下呂市金山町福来
駐車場 なし
トイレ なし
最寄りのバス停 1.マツオカ前 (スーパーマツオカから北へ約1.5km、徒歩約25分/下原トンネルを潜らず、右手、下原小学校方面へ-飛騨川・中橋を渡り左折、下原八幡神社を過ぎて200mのところに福来口留番所址、300mのところに中綱場の網株岩があります)
2.JR飛騨金山駅から北へ約1.8km、線路添いを 徒歩30分

加藤素毛記念館「霊芝庵」
かとうそもう

岐阜県指定文化財・有形民俗文化財(加藤素毛の遺品)

生涯を文雅の道に生きた俳人加藤素毛 は、文政八年( 1825 年) 下原郷十七ヶ村 の兼帯名主を勤める加藤三郎右衛門雅文の次男として生まれ、 23 歳の時 高山 へ出て飛騨郡代の公用人となり、国学・和歌・漢学を学びました。その際親交を持った山岡鉄太郎(後の鉄舟)の協力もあり、江戸に移った素毛は万延元年( 1860 年) 1 月、徳川幕府・日米修好通商条約批准書交換のため遣米使節随行員 77 名の一人として選ばれ、米軍艦ポーハタン号で品川沖を出航しました。ハワイ・サンフランシスコ・ニューヨークなどを巡り、喜望峰経由でジャワ・香港などに立ち寄った後、同年 9 月無事品川港に到着、 36 歳の素毛は日本で初めて世界一周を果たした一行のひとりとして語り継がれています。
【県文化財/有形民俗文化財】加藤素毛の遺品
遣米使節団の一員に加わった素毛は、同行 77 名中最も筆まめであったと言われ、 254 日間にわたる周海 3 万里の行動・風物など見聞のすべてを、日記・俳句・和歌・漢詩・スケッチなどに克明に書き納めています。

これらは平成 14 年( 2003 年) 老朽化した素毛の生家を建替え、新しく 加藤素毛記念館

『霊芝庵(れいしあん)』 として 一般公開されています。建替えに当たり、刀傷のある柱や看板、テーブル、棚などの備品に旧生家の鴨居や柱の一部を活用しています。駐車場内には旧生家の位置を示す当時の塚石が残ります。なお、加藤素毛の墓石【市文化財/史跡】は、中切の玉龍寺境内にあります。

◆加藤素毛 伝承マンガ 公開中
 (お問合せ/下呂市役所 金山地域振課 TEL.0576-32-2201)
住所 岐阜県下呂市金山町下原町
駐車場 あり
トイレ 館内あり
最寄りのバス停 マツオカ前 (スーパーマツオカから北東へ約500m、徒歩約10分/下原トンネルを潜らず、右手、下原小学校方面へ、小学校手前の飛騨街道沿いにあります)
記念館見学 開 館 日 : 3月~11月の毎月 1日・15日
開館時間: 10:00~15:00 入場無料
連 絡 先 : 下呂市教育委員会  TEL.0576-52-2900

首塚・胴塚・足塚

下呂市指定文化財・史跡(首塚)

慶長 5 年( 1600 年)、関ヶ原合戦の一ヶ月前、西軍(石田三成)に属する郡上八幡城主稲葉貞通の兵と東軍(徳川家康)の旗本、飛騨の領主金森長近の兵が 田島村 の渡舟場で激戦。 首塚 、胴塚、足塚は このとき死んだ兵を集めて埋めた墓と伝え られています。その後、金森の兵は二手に分かれ一方は稲葉の兵が待機する井尻方面、桐洞村へ進み、大谷戸天神山の廟にたてこもっていた稲葉の兵を敗り、一方の兵は大船渡から中津原、麻生谷の山々を越え、郡上郡広瀬村へ下り祖師野、法師丸(和良)を攻め、郡上八幡城での攻防を展開しましたが、和議が成立。(胴塚、足塚は現在、近くの私有地に移されています)
住所 岐阜県下呂市金山町田島
駐車場 なし
トイレ なし
最寄りのバス停 JR飛騨金山駅 (駅から南へ線路添いに約 1.6km、徒歩25分)

鎮守山観音堂
ちんじゅさん

下呂市指定文化財・史跡

 
両面宿儺(すくな)が 37 日間大陀羅尼をとなえ、国家安全・五穀豊穣を祈願して以来この山を鎮守山と呼ぶようになりました。村人が堂を新築し霊験あらたかな観音をむかえて祀りました。聖観音立像を中心とし左右に石仏 35 体を祀る現在の観音堂は弘化 3 年( 1846 年)に再建されたものです。
住所 岐阜県下呂市金山町金山
駐車場 あり (鎮守山登り口右側の空き地)
トイレ なし
最寄りのバス停 昭和町 (昭和町通りに並行する南筋の飛騨街道沿い/国道41号線「十王坂」信号東)

南エリア

義民助兵衛の碑
ぎみん すけべえ

下呂市指定文化財・史跡

元和 2 年( 1616 年)、当時尾州藩の領地であった 武儀群桐洞村(菅田桐洞) に生まれた中島助兵衛は、万治 3 年( 1660 年)、代官の単独による重税で一揆を起こそうとした村人の心を取鎮め、単独尾州藩江戸屋敷におもむき減税嘆願の直訴をし目的を達成しました。しかし大罪のため捕らえられ 52 歳で牢死。明治 28 年( 1895 年)村人の意向により 和田白山神社 境内に義民碑が建立され、現在は 県道 58 (平成こぶし街道) から 田中・室洞地区 南方面)へ入り、赤い橋(義民の里橋)を渡った道路脇に移設されています。
住所 岐阜県下呂市金山町菅田
駐車場 なし
トイレ なし
最寄りのバス停 菅田局前

庚申塚

道祖神と共に民間信仰を物語る菅田の庚申塚は、約 300 年前から 150 年前までに 33 体造られました。これは、村に伝染病や凶作といった災厄が入ってこないようにという願いを込めた「塞乃神」で、小作人が地主に頼んで造ってもらったといいます。現在 32 体が現存しています。
住所 岐阜県下呂市金山町 菅田地区
駐車場 なし
トイレ なし
最寄りのバス停

北エリア 県道86号線 周辺
●岩屋岩蔭遺跡

●代官屋敷跡と石畳路

西エリア 県道 86号線 周辺
●祖師野薬師堂の円空仏

●藩領境の標石

東エリア 国道 41号線 周辺
●飛騨街道 筋骨めぐり
●中綱場御番所址
●加藤素毛記念館「霊芝庵」
●首塚・胴塚・足塚
●鎮守山観音堂

南エリア 県道 58号線 周辺
●義民助兵衛の碑
●庚申塚